【100人に1人の平均顔】全く顔を覚えてもらえないのは得か損か
果たして人に顔を覚えてもらえないというのは損なのでしょうか、得なのでしょうか?
あなたは人に覚えられる方でしょうか、覚えられない方でしょうか?
そして、それは損だと思いますか、得だと思いますか?
読み進める前に一度考えてみましょう。
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さて何を隠そう、人に全くといっていいほど顔を覚えてもらえない僕。
そんな僕の意見は、
人に顔を覚えてもらえないというのはぶっちゃけ得
という意見です。
その理由にいく前に、僕がどれくらい人に顔を覚えてもらえないかを書くことにしましょう。
ばあちゃんその1
まず昨日こんなことがありました。
妻の里帰り出産のため、有給休暇を取得して妻の実家に一緒にやってきた僕。
↓【里帰り出産の話はこちら】
朝から一緒に住まいの片付けをしてから、昼ご飯を食べてのんびりしようと思ったら、急に歯の痛みが。
食べ物が挟まって歯茎がズキズキ。
実は先月まで地元で歯の治療をして詰め物を替えてもらったところなのですが、その替えてもらった箇所がズキズキと痛みます。
地元に帰ることもできないので妻の実家から近い歯医者さんに片っ端から電話をして、すぐに診てもらえるところを探しました。
ようやく見てくれるところが見つかりその歯医者へ。
受付を済ませ、待合室で待っていたところ、おばあさんが一人で入ってきました。
それは妻のおばあちゃんでした(どんな奇遇)。
すぐ僕を見つけたおばあちゃんは
「あらこんなところで奇遇だね。元気していた?」
と言って話しかけてくれました。
しばらく談笑したあと、満を持しておばあちゃんは僕に質問をしました。
「で、どちらさんだったかいねぇ?」
僕はずっこけそうになりました。
妻のおばあちゃんには1年で10回以上顔合わせています。
つい先月も一緒に食事をしたばかりです。
ちなみにいつも「旦那さん」と呼ばれています。
おそらく僕の妻とセットで記憶されていて僕単体だと見分けがつかなかったということでしょう。
とはいえさすがにこれには驚きました。
ばあちゃんその2
次。
僕の実のおばあちゃんの話です。
僕のおばあちゃんはおじいちゃんを5年ほど前に亡くし、今は僕の地元の施設に入っています。
年齢も90歳を超えていて少し痴呆が入っていたと思います。
先日、僕の両親がおばあちゃんを訪ね、親戚一同の写真を見せて近況報告をしたそうです。
その親戚というのは15人ほどいたということ。
それが、なんと僕のことだけ誰かわからず、
「この人だけはワシは見たことも会ったこともない」
と言ったそうです。
確かに結婚してからというもの、地元にはなかなか帰れなかったですが、おばあちゃんの記憶から抹消されているのは正直ショックでした。
と言うか僕の親もそういうことは黙っといてくれ。
行きつけのラーメン
次。
東京に住んでいたころ、マンションから自転車で5分ぐらい行ったところにあるラーメン屋によく行っていました。
少なくとも週に一回多いと3回は毎週食べていました。
しかも大体そのラーメン屋に行くのは夜11時か12時頃のことが多く、他のお客さんもまばらな時間帯。
寡黙な店主と話すことすらなかったですが、その店の中では二人っきりになることも数回ではありません。
そんな僕が東京からの転勤が決まり、そのラーメンを食べるのが最後となったときに、
「今まで本当に美味しかったです。僕はこれから転勤になってしまうので食べられないのが残念ですがまた機会を見つけてきますね」
と言ったところ、
「え?あ、ありがとうございます!(こいつ誰だよ)」
周りのお客さんも(え?こいつ何いってんの??)という反応。
そそくさと店を後にしたのは言うまでもありません。
↓ちなみに僕お得意の東京批判
覚えられないのが得だという理由
いかがだったでしょうか。
俺こそは私こそは人に顔を覚えられないという風に思った方でも、僕には絶対にかなわないと思ったことでしょう。
僕の凄さを分かっていただいたところで、僕がなぜ人に顔を覚えられないことが得だと思うかを書いていきたいと思います。
得だと思う理由
- 関係が深い人には覚えにくい顔だからといって忘れられることはない
- 顔見知り程度の人に声を掛けられづらい
- ちょっとしたミスをしたことを忘れてもらえる
- 少なくとも顔に目立った欠点がないということ
関係が深い人には覚えにくい顔だからといって忘れられることはない
この理由が一番大きいと言って問題ありません。
人の印象を決定づけるものは何と言っても行動と言動です。
したがって、自分の行動と言動で付き合っているレベルでは、顔が覚えやすいかどうかなんていうのは何の影響もないわけです。
実際にあなたも一緒に働いていたり、よく衝突したりする相手の顔はよく覚えているものだと思います。
つまり顔を忘れるということは、そもそも忘れられたとしても大して影響がない相手というわけです。
あとは、そういう相手に対して覚えてもらいたいことが多いか少ないかという話になるわけですが、ぶっちゃけ忘れてもらった方が得な事って多くないですか?
顔見知り程度の場のストレスが減る
まず、日常の対人コミュニケーションで、結構面倒くさいのが顔見知り程度の人と同じ場にいるとき。
コミュ力が大してない僕は、顔見知りの人と話すのが結構なストレス。
僕は全国展開している大企業の転勤族なので今までもいろんな人と仕事をしてきました。
中には数回だけ打ち合わせしたような人も、その数回でなんとなくギクシャクしたやり取りをしてしまったような人もたくさんいます。
そういった人たちと全国会議の場などでしょっちゅう顔を合わせます。
本音はあまり話したくないけど、無視もし辛い状況ってないですか?
そういうとき、周りの人達はよく「顔見知りだけに無視できない」といった感じで軽い世間話をしているのをよく見かけるのですが、僕はたまにしか話しかけられないので楽チンです。
もちろんもともとよく知ってる人には気軽に話しかけてもらえるのでちょうどめんどくさいコミュニケーションだけ省略できるような形になります。
これはどう考えても得です。
覚えられたくないことを忘れてもらえる
自分自身を振り返ってみても、誰かが良い行いをしているのと、悪いことをしているのを見たとき、悪いことをしている場面の方が圧倒的に覚えています。
例えば良い行いを10個、悪い行いを10個見かけたとき、圧倒的に悪い行いの方が記憶に残りませんか?
つまり、ふとした行動に関して言えば、覚えられたくない行動の方が他人の記憶に残りやすいということだと思うんですよね。
そういう時に自分の顔が一緒に覚えられてしまうよりは忘れられてしまった方が絶対に得です。
実際に僕って職場の人から見るとあまりミスをしない人間に見えるようです。
しかし実際は大小さまざまなうっかりミスを死ぬほどするタイプの人間です。
これが仮に顔の覚えにくさに原因の一部があるとしたら面白いですよね。
最後に、初対面で会ったときにすごく特徴的な顔をしている人というのはすぐ覚えてしまうものだと思います。
その点僕は覚えてもらえるぐらいいい顔をしていないということではあるものの、目立った欠点もないということになります。
僕の顔の自己評価は58点ぐらいなので、顔で損をすることというのは基本的にないということでしょう。
ちなみに顔をすぐ覚えられがちな人のブログでも貼っておきます。
この人もすぐ常連扱いされるのが嫌だと言ってますね。
おまけ
さてそれくらいが覚えられない僕ですが、逆にそんな僕のことをよく覚えていたなと感心したエピソードを最後に1つ披露して終わります。
それは横浜にあるとある麻雀店の店長です。
その店には会社に入りたての10年前ぐらいの時にちょくちょく行っていたのですが、本当にたまに行くという程度で常連と言うには程遠い存在でした。
その後麻雀からは離れてしまって、5年ほど経ってから渋谷にあるその店の系列店に行った時にその店長もその店にいて、
「あれ〜!久しぶり!!◎◎くんじゃん!」
と言われました。
そもそもほとんど話もしたことなかったのに、自信を持って名前を言えること自体が僕は衝撃でした。
おわり。