育児本は読む意味が全く無いのか
昨日のエントリーで育児本は内容が合っているかどうか判定するのがとても難しい話を書いたところ、そこそこ反響をいただくことができました。
ですが、僕自身育児本を読む価値が全くないと思っているわけではありません。
今日はそのことについて書きたいと思います。
- 知識がないことは怖いこと
- 育児本を読んでもその通りにいくわけがないという意見
- 良い本はある、しかし見つけづらい
- 距離を取って知識を得ることの重要性
- でもぶっちゃけ気持ちが楽になるならなんでも許される
- 僕の育児本レビューが誰かの役に立つといいな
知識がないことは怖いこと
まず育児本にガラクタが多いとして、「じゃ全く要らないですね」となるのは極端です。
たとえば乳幼児にハチミツをあげたらダメという知識を全く知らなかったら下手したら子どもが死にます。
こういう赤ちゃんの生死に関わる知識がないと親としての責任を果たしていないと僕は思います。
もちろん知識を得る手段が本に限る必要はありません。
この時代ネットでも情報がたくさんあります。
しかしネットは本以上に情報の選別が難しいのも事実です。
情報の取捨選択に自信がない人ほど本を選ぶほうが無難です。
育児本を読んでもその通りにいくわけがないという意見
育児本は読んでもその通りいくわけがないから意味がないという意見もありますが、これは僕は違うと思います。
僕は育児に限らず本で得た知識をそのまま使えるケースはかなり少ないと思います。
というかそんな借り物の知識ですぐ実践できるほどスキルというのは甘くないです。
本を読んで自分という人間に馴染ませてからじゃないと大抵の知識というのは使えるようにはなりません。
良い本はある、しかし見つけづらい
育児本の欠点は良い本を見つけづらいことあって、良い本もたくさんあります。
要はこの目利きをきちんとできるかが大事です。
距離を取って知識を得ることの重要性
これはなにも育児に限った話ではありませんが、知識や情報に対して距離を取れることが勉強をする上では最も重要です。
リテラシーと言い換えてもいいでしょう。
知識がない人が一番ダメなのはいいとして、聞いたことを鵜呑みにしてしまうことも同じくらいダメです。
たとえばネントレ本で「この本の手法を取ると寝る子もいれば寝ない子もいます。どうですか?」なんて本があっても売れないわけで、ある程度極端な記述に偏らざるを得ません。
そういう商業的な事情も織り込んで読む側が一歩引いて読むことが求められます。
もちろんこれも鵜呑みにするか、距離を取るかの極端な二択にする必要はないと思います。
本を読んでいるとめちゃくちゃ心の琴線に触れる本もあります。
そういう本に出会うことが読書の醍醐味であるとすら思います。
それでもなおほんの少し距離を取ったほうがいいですが。
僕は同じカテゴリの本をたくさん読むことによって、色んな本に同じことが書いていればある程度信じて良いのではないかというスタンスです。
その中で『眉唾疑惑』から、『かなり信じていい』というレンジで情報を配置しておくといいのではないかと思います。
というか多読家の人はだいたいそうしているんじゃないでしょうか。
多様な意見を得ることに価値があると思えたら◎
でもぶっちゃけ気持ちが楽になるならなんでも許される
色々書いてきましたが、ある程度無条件で信じていいと思うもの、それはメンタル系の本です。
自分が弱っているときに手に取る本があるとします。
それに書いているものが根拠めちゃくちゃでも、それで心が楽になるならOKだと思います。
要はメンタルの早期回復が目的なわけなので「元気になったならいいじゃん」というわけです。
しかし『ある程度無条件で』と書いたように、たとえば宗教的なものとか、お金がかかるものとか、毎日多大なルーチンをやったり等日常生活や同居者に負担がかかるような解決策は避けたほうがいいでしょうね。
僕の育児本レビューが誰かの役に立つといいな
僕はたくさん本を読むという特技を活かして時間があるときに育児本レビューを書いています。
これが誰かの役に立つととてもうれしいです!
がんばります!!