京大の教授に言われた忘れられない言葉
もう15年ほど前の僕が京大生だったときです。
会社に入って同期たちと話をすると、他の大学では出欠を取るところが多いことに驚きました。
京大で出欠を取られたことはほとんどなかったからです。
単位をバラまくようにくれる教官もそこそこいました。
たとえば『環境なんとか論』とかいう講義のレポート課題は『環境に関する川柳を1つ』のみでした。
僕の友達は
『リサイクル ああリサイクル リサイクル』
で70点がついて単位をもらえていました。
他にはカンニングされるのがイヤだから隣と相談OKとか、自分の通知表の点数は自己申告で決めていいとかもありました。
当時そういう講義ばっかり取ってラクラク単位を集めようとする京大生も少なくありませんでした。
すみません。
僕もその一人です。
そういうときに、単位をバラまくようにくれる教官の一人がなぜ出欠も取らず、課題も楽勝なのか理由を説明してくれました。
「京大というところは数人しかいない頭の良いやつにしか用がないんだ。大多数の京大生は大して頭が良くないんだから時間と金をつぎ込む必要がない。やる気も才能もないやつをあぶり出すにはいい方法だろう?」
もちろんこれが京大としてコンセンサスがある意見なのかどうかわからない、というか普通に考えれば違うんですが、"さもありなん"と感じたのを覚えています。
確かにガチ系の講義でも、高校数学の知識を10歩進めたようなところからいきなり始まって途方に暮れたこともありました。
教科書も今まで見たことも聞いたこともないことが前提に書かれていて、バカっぽい言い方をすると不親切極まりない。
ロッククライミングで言えば初級コースを卒業後に、ほとんど掴まるところがないステージに連れて行かれたようなものと言えば通じるでしょうか。
それでもついていけるやつはついていけるし、教官のミスを指摘したり、その場で大激論するやつまでいました。
京大に合格するためにはある程度勉強の本質に到達できている必要があると思いますが、それがすごく噛み砕いて教えられてようやく到達できた人間か、手助けなしで到達できた人間かは入学後にはっきりと現れるような気がしましたね。
京大合格した途端に自分の実力のなさ、平凡さを痛感する傍らで、めちゃくちゃ楽なルートが手招きして立っているわけです。
僕はガチルートを渡り切る自信がなくて安易な道に逃げただけのような気もします。
その意味ではその教官が言う通り、きっちりふるいにかけられたのかもしれませんね。
※言うまでもありませんが、僕が在籍した当時に僕がたまたま通った経験を元に書いたもものなので京大全体を一般化するものではありません。もしかしたら僕がいたところ以外はめちゃくちゃ出欠取りまくってた可能性だってあります。あしからず。