ズボラ夫の男性育休 123×222日

1.23生まれの娘と始める男性育休222日の軌跡。京大出たのに専門卒の嫁の尻の下。俺のスゴさはブログで出すぜ!男性育児、男性育休、家族の資産形成、育休中の勉強法、プログラミングについて書きます。

父が50年のお勤めを終えて退職しました


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昨日は父が50年間勤めたお仕事を退職する日でした。

僕の父は高校卒業後に地方公務員となりそのまま同じ職場で50年間勤め上げたことになります。

確かに父親の記憶のどこをとっても同じ職場で働いていた記憶しかないです。

とはいっても60歳の時に一度定年退職をしてその後再雇用で余生を過ごしていたので正確には2度目の退職ですが。

なにはともあれ、そういうわけで昨日は父親に電話をしました。

父は送別会を開いてもらっていたようでとても上機嫌でした。

正直父はいつ話しても説教しかしてこないのであまり話すのが好きではないのですが、昨日も変わらず説教三昧でした。

内容を要約するとこんな感じです。

・50年間勤めあげることができて感無量だ。
・お前も1つの所で勤め上げることが何より価値もあることだ。
・何があっても仕事は辞めてはいけない。

僕はこれを聞いてぶれないなーと思いました。

僕が就職した十何年前から変わらずに同じことを言われ続けています。
父親のめでたい日にこんなことを書くのはありかもしれませんが、個人的にはこの考え方に共感できたことは一度もありません。

しかし父親の価値観をよく表していると思うし父親の持っている誇りを尊重したいと思うので昨日は特に反論もせず素直に聞いていました。

たまには母親の話でも書いておこうと思います。
僕の母親は和裁士です。着物を縫うお仕事ですね。

母親も高校卒業後に5歳の専門学校に行ってそこからずっと着物を縫う仕事をしています。僕が小さかった頃の母親の思い出はいつを切り取っても着物を縫っていた記憶しかないです。

子供と一緒に過ごしたかった母は家でできるは妻の仕事を選択したのでした。

父親は家の事は全くしない人だったので、母親は一通りの家事を終えた後いつも深夜まで着物を縫う仕事をしていました。

今思えば家事と仕事で1日20時間ぐらい働いていたのではないかと思います。
ブラック企業もビックリ。

母親も着物の専門学校がとても厳しく何度も辞めたいと泣いて家に帰ったそうですが、僕の祖父がそれを絶対に許さなかったようで結果としてきちんと手に職をつけることができたそうです。

そういう体験があるからこそ母親は僕に、"何があっても途中で絶対に投げ出すことはいけない。どんなに辛くても最後までやりぬけ"といつも言ってきました。

このようにブログを書いていると僕の父親と母親は同じようなことを子供に対して言っていたことに気づきました。

最初に書いた通りこの考え方に共感はしていませんがよくよく考えてみれば僕自身何かを途中で投げ出したことは実はない気がします。

結果として何不自由することなく毎日を過ごせています。

両親の言うことには共感できないことがこれに限らずとても多いのですが、振り返ってみれば両親の言った通りにしていた方がうまくいっていたことばかりなのにはいつも驚かされます。

正直言うと僕の方が両親よりも圧倒的にいろんな知識があるとは思っているのですが、両親の意見の方が正しいことが多いんですね。

そういうわけで僕も最近は素直にそれを受け入れて心の片隅には置いて判断するようにしています。

皆さんもそんな感じなんでしょうか。
僕は転勤族なので親と一緒に暮らすことが今後あるのかどうかと言うとかなり怪しいのですが残された時間きっちりと親孝行していきたいと思います。

ちなみには母は父親のこれまでのネクタイを1/10にして飾り物を作ったみたいです。

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僕はこれを見て、昔父親がワイシャツに何か赤い汚れをつけて帰ってきて、口紅を疑った母が僕たちの目の前でそのワイシャツを和裁ハサミで切り刻んだことを思い出しました。

こんな息子ですみません。
おわり。