ズボラ夫の男性育休 123×222日

1.23生まれの娘と始める男性育休222日の軌跡。京大出たのに専門卒の嫁の尻の下。俺のスゴさはブログで出すぜ!男性育児、男性育休、家族の資産形成、育休中の勉強法、プログラミングについて書きます。

震災から9年。東京での思い出。


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東日本大震災から9年です。
このとき自分は東京にいましたが、この地震が起きるまでは自分の中で震災と言えば阪神大震災のことだったんです。

自分は東日本大震災阪神大震災をどちらも被災しているんですね。
今日はその話を少しだけ。

2011.3.11

僕は東京のオフィスで仕事していました。
僕のオフィスは東京都心の超高層ビルのかなり上のほうだったんです。

確か金曜だったと思いますが、仕事も午後になって閑散としてきて早く帰りたいな〜とか思っていたらドスンときて、そのあと横揺れが始まりました。

そのとき、オフィスでも少しどよめきが起こったのですが、その後どんどんと揺れが強くなっていったのを覚えています。

高層ビルだったこともあってか、フロア全体が円を描くような横揺れをし、間もなく立っていることができなくなりました。

蛍光灯なんかも落ちてきたし、横にずらせるキャビネットなんかは周期的に左右にスイングしては中の書類を外にぶちまけていました。

いい年した大のオトナが机の下に潜って震えていました。
女性の泣き声も聞こえました。

当時まだガラケーだったのですが、電話はつながりませんでした。
メールはできたので、家族にはメールをしました。

「無事です。怖かったです。」

と。

その日は階段でビルを降り、歩いて帰宅しました。

ニュースでは全番組特集を組まれ、およそ現実感のない映像が夜通し流れていました。

翌日くらいに新聞記者をやっている大学の先輩から福島原発メルトダウンしているぞ、東京は危険区域内だとメールがきました。
そんなまさかと思っていたら少し時間を置いてニュースでもやり始めました。

しかしニュースでは東京は安全だと言います。
自分は仮に東京が安全ではないとしても安全ということにしないとこの国の機能が終わるんかもしれないと思いました。

しばらく電車も間引き運転となり、連日異常な混雑をするようになりました。
いや、そもそも異常な混雑だったんですが。

東京という都市のキャパシティの限界を感じ、下手をしたら死ぬかもしれないと感じるようになりました。

3.20くらいに突然腹痛に襲われ入院。
盲腸だったのですが、計画停電とかいうのをしていたせいで、もしかしたら手術中に停電になるかもしれないから同意書にサインしてくれというわけですよ。

え?そしたら何が起きるの?

と聞いたら

非常用電源があるから大丈夫だよ!

とのこと。

よくわからないまま、麻酔を打たれ意識がなくなりました(笑)

・・・

そうこうしながら9年が経ったのですね。
これだけ見ると9年眠っていたみたいですが、起きてました。

そのときから考えるとこの9年色々ありました。
今年も元気に過ごせますように。